(21) カピュラ地区
この地区はロシアから独立した1917年から2年後に人口集中が顕著になったことから住宅地開発計画が決定し、イギリスのガーデンシティの構想が取り入れられました。市中心部から北へ5Kmの立地で、計画と共にトラム(路面電車)が整備されました。ひとつの住戸に4世帯を基準とし7年間で538戸居住者数1500人程であったとされます。当時バス、トイレ、キッチンは共用の中庭に設けられており、1960年代には建替えの計画がありましたが建築家グループの反対運動がおき1971年に保存補修計画が決定しました。現在では、建築家やアーティスト、大学教授などが好んで住み建設当時のままの外観が保たれています。当時家庭菜園と共用施設であった中庭は、美しい庭となり住民のアクティビティの場となっています。外観に関わる一切の変更を認めないという厳しい条件にも関わらず、ここに住みたいという意志を持った人々が集まり快適に暮らしています。(記:野々川光昭)